鳴尾山城

別名− 付近住所 西脇市板波町 現在 愛宕山
2005/1/4 碑・案内板アリ


鳴尾山城は南北に連なる鳴尾山の北端の標高176m、比高110mの山頂に築かれています。城跡は山頂の主郭(南北20m、東西18m)を中心に土塁付の幅広い通路兼帯曲輪がとり巻き、南の尾根続きは堀切を設けて防御を図っています。鳴尾山城の特徴は、曲輪のほぼ全周を石垣積みに改修している点で、その時期は戦国時代末期と考えられます。このころの山城は合戦のときにこもるための城で普段は見張り番がいるだけでした。そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。鳴尾山城は野村町の野村構居とセットとなる山城であったと推定され、城主は上原氏と考えられます。上原氏は戦国時代の混乱に乗じて這田荘(ほうたのしょう)重国郷の実権を握りますが、自立の困難さから自らも当時北播磨全域に覇権を広げていた在田氏の被官人となります。鳴尾山城は戦国時代の末期に北播磨進出をねらう三木城の別所氏に落され這田荘も別所氏の支配地となりますが、上原氏がその後どうなったのかわかっていません。鳴尾山城は小規模ですが特徴的な構造をもち市内でも保存状態のよい城跡のひとつです。

   縄張図